概要

日本の大半の劇団がこの部類に入る。大都市圏や地方の主要都市を中心に様々な劇団が存在し組織もサークル的なものから、法人になっているものまで多種多様である。活動範囲は劇団が本拠を置く都市が中心ではあるが、中には演目や所属団員、スタッフの活動により全国に活動範囲を広げている劇団も多い。その活動内容は、本格的な作品の上演を行なう団体から、児童劇団や芸能事務所が運営している劇団のように所属団員の育成を活動の中心にそえるものまで様々である。上演場所も演劇専用劇場から学校や公民館までいろんな場所で上演されている。

最初は学生によるアマチュア的色彩の強い劇団だったが、次第に職業劇団へと変化、1967年に法人へと改組され四季株式会社となる。「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志である(ちなみに、創立メンバーである浅利たちは、彼らが愛読していたT・S・エリオットの長編詩から着想を得て、「荒地」という劇団名を考えていたが、若いときはよいが40になったときに「荒地」ではどうかとの芥川の指摘で、当時、フランスで活躍していた劇団・テアトル・デ・カトルセゾンから「四季」とした)。芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりしたが、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで法人運営が成り立ち劇団員も生活できる経営を志向するようになっていく。

1971年に越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』をヒットさせてから、様々なミュージカルを上演しながら技術を蓄積、1979年に『コーラスライン』を上演したことが転機になる。日本の劇場は月単位契約のため、大ヒットを重ねても結局収益が限られる傾向があり、劇団四季は専用劇場の確保を模索しはじめる。1983年に西新宿の都有地空地を借りテント張りの仮設劇場を設置、『CATS』のロングラン公演に踏み切る。1984年11月10日までの公演となった(山田卓振付)。1985年、大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに設置した仮設テント劇場で『CATS』を再演、13か月のロングラン公演を達成した。

イギリスの文学者T・S・エリオットの詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法(The Old Possum's Book of Practical Cats)」に対しアンドリュー・ロイド=ウェバーが曲をつけた。 しかし、一部の曲は演出家トレヴァー・ナンらによって作詞されている。 代表曲「メモリー」はT・S・エリオットの未完の草稿を基に、トレヴァー・ナンが新しく書き下ろした歌詞である。

劇団とインターネット

劇団といえば一昔前までは熱烈なファンに支えられていた文化と言えるかもしれない。その講演情報やましてや活動状況などはなかなか一般の目に届くことは少なかった。仮に興味があったとしても、実際に劇場に訪れまでにはいくつかのハードルがあったため、さらにファンを孤立化させる要因にもなった。そうした独自の文化の形態の中、インターネットの発展によりこれら劇団の存在や活動内容もよりオープンになってくることとなった。すなわちそれは、より多くの人々に対して劇団やそのパフォーマンスを広く知らしめるための道具となったのである。もはや、劇団とインターネットは切り離せない存在となっている。


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